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YOGA!YOGA!YOGA! ヨガのあれこれBlog

ヨガをはじめて1年のヨガ男子。ヨガにまつわる気になるあれこれを発信します。

展覧会「森村泰昌:自画像の美術史ー『私』と『わたし』が出会うとき」によせて


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森村泰昌の展覧会に「森村泰昌:自画像の美術史ー『私』と『わたし』が出会うとき」先日行ってきた。

森村氏の作品は意外と中学生の頃から知っていた。
美術の教科書か資料集の片隅にゴッホに扮する氏のポートレートが載っていた。
当時は変わったおじさんだという印象が強く、
それ以上の興味は持っていなかった。

その印象ががらっと変わった、
いや強烈なものとなったのが、とある展覧会会場での氏の作品である。

突如現れた森村氏の作品は相変わらず「他人」に
なりすましていたわけであるが、
その展示で扮するのはヒットラーチャップリンのオマージュでもある)であった。
しかも映像作品だったのである。

その映像作品が時折日本語でセリフをいうわけであるが、
見ていくうちに、笑いがこみ上げてくる。
ナイーブな問題、モチーフなはずなのに、
それを喜劇に昇華させるのはまさに森村氏ならではの「なりすまし」技法によるものであった。

と、前置きが長くなってしまったが、
そんな彼の新作を含む展覧会が彼の地元大阪で行われるということで、
ゴールデンウィークに関西に立ち寄ったより、やってきたわけである。

本展覧会「森村泰昌:自画像の美術史ー『私』と『わたし』が出会うとき」は
彼が美術史に名を残す芸術家達に「なりすまし」、自画像を切り口に
美術史やその美術家を批評的に捉える試みである。

レオナルド・ダ・ヴィンチファン・エイクデューラー、カラヴァッジョ、ベラスケス、レンブラントフェルメール、ルブラン、ゴッホフリーダ・カーロデュシャン、ウォーホルという名だたる芸術家に今回は扮するのである。

そして今回もポートレート写真だけでなく、
映像作品という形で森村が上記の芸術家を演じ、
そして森村の解釈を我々に提示している。

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さて、この展覧会を見て、われわれは疑問に思うわけである。

これははたして自画像なのであろうか、と。

もちろんすべての作品は森村氏のポートレート作品であり、
他人が作品に写り込んでいるわけではない。

しかし、作品に現れるのは、森村氏が演じる、
ダ・ヴィンチであり、ゴッホであり、フリーダカーロなのである。

ダ・ヴィンチをみているのか、森村をみているのか。

ここにわたしは森村の芸術家としての視点を見出したい。

森村の「実験」を日常を我々の日常に置き換えてみよう。
もちろん日頃からこのようにフルメイクをし、カツラをかぶり、
時には眉毛をつなげ、髭をつけて生活することは皆無である。

しかし、内面はどうだろうか。
友人と会うときの「わたし」、会社での「わたし」、初見の人と話すときの「わたし」、恋人といるときの「わたし」。
すべて同じ「わたし」であるが、すべて違う「わたし」でもある。

たとえば、いつもは別に普通に接している友人と喫茶店に入ったとする。
その友人の注文の仕方を聞いていると、
店員と接している態度が、非常に横柄に感じられることがないだろうか。

友人と接するように上司と接しないし、
上司と接するように、恋人に接しない。
程度の差こそあれ、われわれは無意識的にそして時には意識的に、うまく態度という内面をその場その場で切り替えている。

森村氏はこれを意識的に、我々に示している。

つまりこの森村が行う、「扮する」という行為は我々が常に行っていることだということ。
決して変装癖のあるオジサンのポートレートということ以上の意味をここに現前化してくる。

今回、彼は従来のポートレート作品に加え、1時間に及ぶ映像作品にすることで、彼の「扮する」ということにもう一つ意味合いを付加している。
それは外見だけでなく、内面の変化である。

映像のなかで、彼はその芸術家を演じながら、
芸術家の描いた自画像を解説していく。

ここに見て取るのは彼の声色、表情、姿勢とすべてその画家になりきっているということ。
それは森村の驚くに値する演技力やナレーション力によるところが大きいが、
彼はまさに内面からその画家になりきっているのだ。

つまり、外見の切り替えを写し取ってきた森村の作品は
内面の切り替えさえも描くことで、より我々の実生活における態度変容という実態に対し示唆的になっている。

しかし、ここで森村氏の作品が成功しているのは、
どこまで行き着いても「森村」氏である、という安心感である。

いくらメイクを施しても、いくら衣装を変えようとも、
いくら大量に髭をつけようとも、そこに居座るのは森村泰昌である。

我々も場面場面で多くの「自分」を使いこなす。
しかしそこから紡ぎ出されるのは一個人として否定し難い、いや否定したくはない「自分」である。

ありのままの自分、本当の自分、というのはある意味幻想である。

様々な場面で意識的・無意識的に現れる可変的で不確実な存在こそ自分であり、
そのような固執しない状態を受け入れ、楽しみ、
そこに自由な源泉を見出しているのが森村の作品である。

よって、前述の安心感も意外に表面的であるのかもしれない。

この点で、森村氏の作品は意識的に外見・内面を変え、演じることで新しい自分という態度変容を問う実験である、といえよう。


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※会場は写真撮影OKです

森村泰昌:自画像の美術史ー『私』と『わたし』が出会うとき」
会期:2016年4月5日(火)〜2016年6月19日(日)